□ 十 □
壁がある。
克樹と私の間に壁がある。
私はしばらく事態が理解できなくて、ぼんやりと克樹を見上げていた。
「……ねぇ。」
これ、どういうこと?
そう訊こうと思って声が掠れる。
どういうことかなんて、聞くまでもない。
克樹が私を拒否した。こっちに来るなって言っている。お前なんか来るなって。
見上げているうちに目の奥が痛くなってきた。
克樹はこっちを見ようともしない。
お前なんか、いらない。
克樹が全身でそう言っている。
目が痛くて、胸も痛くて、何も分からなくなって。
「ねぇ。」
呼んでるのに、克樹は返事をしない。
「ねぇってば!」
そう言ったつもりが涙声になる。
こっち向いてよ!
無理やりにでもこっちを向かせようと思って伸ばした腕は、克樹に触れる前に止まってしまった。
この腕もきっと振り払われるんだ。
そうしたら……私、もう。
目が痛い。胸が痛い。変だ。こんなの変だよ。
泣きそう、と思った瞬間にはもう涙が止まらなくなっていた。情けないかっこ悪い声がこぼれる。嗚咽ってヤツ。
私、かっこ悪い。何泣いてるんだろ。
「おい、さつき……!」
克樹の声がする。
でも、呼ぶだけ。
遠くから、壁の向こうから、呼ぶだけ。
きっと罰が当たったんだ。石井さんと克樹の邪魔したから。だからきっと克樹に嫌われた。克樹はきっともう私のことなんか、双子って呼んでくれないんだ。
「何泣いてんだよ。」
答えられなくてベッドに突っ伏して。何でだろ。涙が止まらない。
答えたくても分からないんだもん。何で泣いてるかなんて分からない。
克樹の腕が壁の向こうから伸びて、ティッシュ箱を拾い上げて、私の頭の横に置いた。
「ほら。ティッシュ。」
起き上がって、膝を抱くみたいに座って、思いっきり鼻をかむ。
克樹は黙っている。
私も黙っている。
私達の間にはまだ壁がある。
「あのな、さつき。」
それだけ言って、克樹はまた黙った。私も黙ったまま、雑誌を床に払い落とした。
ばさばさっとひどい音とともに床に落ちる雑誌。
だけど、克樹は何も言わなかった。
私はもう一度思いきり鼻をかむ。
それから、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、克樹の方に近づいた。
克樹はやっぱり何も言わなかった。
「おい、今の、何の音だ?」
廊下から裕樹ちゃんの声がする。雑誌の音、すごかったからね。
「悪い。雑誌落としただけ。」
「そっか。気をつけろよ。」
裕樹ちゃんはドアも開けずに、そのまま立ち去った。
私達のこと、心配してくれてるんだ。だから変な音に気づいて、様子を見に来てくれたんだ。
克樹がこっちを見た。すごい変な顔だった。
私もひどい顔だと思うけど。涙と鼻でぐしゃぐしゃでさ。
だけど、私も克樹を見た。
「石井と別れたら……俺達、双子に戻る、んだよな?」
当たり前のことを訊かれて、面食らう。でも私は頷いた。
「分かった。」
まじめな顔して頷く克樹。変な克樹。
「じゃあ、明日、お前の誕生日プレゼント、一緒に買いに行ってもいいんだな?」
当たり前すぎて、返事に困る。
っていうか、明日は克樹の誕生日じゃん!
そう気づいたけど、涙で声が変になってて上手にしゃべれそうもない。
「駄目なのか?」
「ううん!行くよ!だいたい克樹の誕生日じゃん。明日。」
「お、おう。」
声は変だったけど、何とかしゃべれてほっとする。そのまま、もう少し克樹に近づいて座りなおす。もうちょっとでいつもの位置になる。寄りかかれるくらいの距離。
克樹はちらりとこちらを見て、困ったように目をそらす。
「何で?」
「何が。」
「何でこっち見ないの?」
克樹が大きく息を吸った。
「双子なんだろ。俺ら。」
いらいらしている声。克樹らしくない。
「双子って、そんなべたべたしないもんだろ。だからあんまり近づくな!」
変な、克樹。
こっち来るなって言ってる。近づくなって。
また涙腺がぐっと熱くなる。
「泣くなよ!ばか!」
ばかとか言われてるし。ばかはどっちだよ。ばか克樹!
克樹の指が私の頬に触れて、慌てて離れた。
前は、絶対、そんな触り方しなかった。ちゃんと触ってくれた。私が泣き止むまで、頬を撫でてくれた。克樹の前で泣いたのなんて、小学生までだけど。
「ダメなんだよ。ダメなもんはダメ!」
克樹はそう吐き捨てた。変なの。変な、克樹。
「石井とキスしたとき、さつきだったらって思った。さつきとキスしたいって。」
いきなり、そう言った。
何、それ。
「だからそれ以上俺に近づくな。……ダメなんだよ。俺、お前のこと……。」
何、それ。
「その……気持ち悪いだろ。俺。ごめんな。」
何、それ。
「悪い。忘れてくれ。」
何、それ。
何よ、それ。
そりゃ、私達は双子だから。
双子はキスなんかしない。
それはそうだよ。
でも。
やっぱり克樹はばかだ。
私と同じくらいばかだ。
「お試し期間。」
「あ?」
「お試し期間にしてよ!克樹。」
私の声に克樹がびっくりしたように正視した。久しぶりにまっすぐ私を見た。
「何だよ?」
「一ヶ月上げるよ。一ヶ月の間に、私、克樹のこと、双子じゃなくて好きになってあげるから。だから、一ヶ月間、お試し期間にしてよ!」
克樹はぱちぱちと瞬きをした。
「何だそりゃ。」
しばらく私を見て。
「裕樹じゃねぇんだぞ?俺なんだぞ?いいのか?」
すごくばかな質問をして。
「じゃあ、キスしてみてよ。私が裕樹ちゃんとキスしたいって思うかどうか、試してみてよ。」
私、耳まで真っ赤だと思う。
克樹が私の目を覗き込んだ。
「無理すんな。さつき。」
本当に克樹はばかだ。
腹が立つくらいばかだ。
私は思いっきり克樹をにらみつけてから、克樹の唇に生まれて初めてのキスをくれてやった。
■ 完 ■