□ 九 □
やっと当たり前の日常が戻っていた。
それが私の正直な感想だった。
下駄箱のとこで克樹待ってるかなと思ったけど、さすがにいなかった。
今日からなら一緒に帰ってあげるのに、なんて思いながら、いつもどおり家に帰ってテレビを見て、ふと、今日が金曜日だってこと、思い出した。
漫画!
一ヶ月も読んでない!続き、どうなったんだろう!
居ても立ってもいられなくなって、私はお隣に突撃した。
「あれ?久しぶり。」
裕樹ちゃんがびっくりしてる。
「母さん、さつきが来た。」
報告しなくてもいいってば。少し照れながら、台所に顔を出す。
「こんばんは!」
「さつきちゃん!」
克樹のお母さんが飛び出してくる。おばさん、大げさすぎだって。
「克樹は?」
「お風呂みたいね。」
「じゃあ、部屋行ってるね。」
自分の家みたいに、克樹の部屋に向かった私に、克樹のお母さんがいつもより少し高い、どこかはしゃいでいるみたいな声で。
「さつきちゃんの好きなおまんじゅう、買ってあるからね!」
とか言ってくれる。
裕樹ちゃんが笑ってる。
克樹の部屋は一ヶ月前と同じだった。違うのは、机の上の参考書が見当たらないこと、それから毎週雑誌を捨ててるはずの克樹が、一ヶ月分、溜めていたこと。
私が読んでないからだ!
それだけのことが、私にはばかみたいに嬉しかった。
からん、とお風呂場から音がする。
克樹、早く上がってこないかな。
別に用があるわけじゃない。だけど、せっかく来たんだから、克樹がいた方がいい。
私はいつもどおりベッドにうつぶせに寝転がって、一番古い号に手を伸ばす。あの日、読みかけだったヤツ。ほんの少ししか読まないうちに放り出したんだっけ。
ベッドのとこに残り三冊も積み上げて、私はあっという間に漫画にのめりこんだ。一ヶ月、よく我慢していたよな、と自分でもびっくりする。どの話も、続きがすごく気になっていたんだから。
どれくらい経っただろう。
がた、と遠慮がちな音がして、部屋のドアが開いた。
「……さつき。」
「ん。」
克樹の声が緊張しているのがおかしくて、私は顔を上げた。五月の夜はそんな暖かくもない。だけど克樹はもうTシャツに短パンっていう真夏みたいなカッコしていて。
髪を拭きながら、私の方をほとんど見もせずに、ベッドに座った。
ゆさっとベッドが揺れる。
黙ってバスタオルで顔を隠すようにして、がしがしと髪を拭く。
少しだけ視線を上げると、克樹の太ももが目に入る。
うわ。毛深い!何これ。お父さんみたい!
克樹は黙っている。
「石井さんと別れたんだって?」
しょうがないから話を切り出してあげる私。
「……地獄耳だな。」
「石井さんに聞いた。」
私の返事に、克樹がびっくりしたみたいに私を見た。
「石井が言ったのか?」
「そう。お昼休みに呼び出されて。」
自分でも嫌だなって思うくらい、口元が笑っちゃってるのが分かる。
克樹と元通りになれたのが嬉しいんだ。
これで普通に克樹と遊んだり、しゃべったりできる。
たったそれだけのことなのに、ばかみたいに嬉しい。
手を止めて、克樹はしばらく私を見ていたけど、ゆっくりと目をそらし、また髪をぬぐい始める。
私はごろりと転がって、克樹に近づいた。腹ばいになって、もう一度雑誌を開く。
克樹の毛深い太ももまでの距離は、たぶん三十センチくらい。
これが私達のいつもの距離。
そのとき、克樹が座る位置をずらした。
ベッドの上に積んであった雑誌を三冊、拾い上げて、私と克樹の間に、それをどさっと置いた。
私達の間に、壁ができた。
雑誌三冊分の壁。
ひじを突いて見上げると、克樹は私からこれ見よがしに目をそらして。
「さっさと読めよ。まんじゅうも食うんだろ。」
つっけんどんにそう言った。