□ 三五 □
リスナ港は活気にあふれている。
暦を見ればすでに冬。それでも、暖かかく柔らかい日差しがリスナを包む。
旅立ちの日というのは誰にとっても心が弾むもの。出港の準備に駆け回る男達の陽気な声があちこちで飛び交う。
「どうしても行くのか。」
飛び交う船に荷物を積み込む指示の声の中、サナの聞こえる方の耳に向けてコアが怒鳴った。
「頭が決めたことだからね。」
サナは年若い荒くれ船乗りを捕まえて何かを指示していたが、コアの声に振り返って陽気に笑った。「頭が決めたこと」がどれほどの力を持つのかをリスナの兵士達はよく知っている。
――これだけの海賊達を大人しく従わせる男。
――リスナに総司令がいるように、海賊達にはロキがいる。
ロキが決めたなら彼らはどこへでも行くだろう。リスナでそれを知らぬ者はいない。
波は上々。
風も悪くない。
「俺達は海賊だから海兵にはなれねぇ。陸には住めねぇんだ。だからって海賊続けていたら、お嬢ちゃんと戦争だしな。お頭はそんなこと望んじゃいねぇんだから。」
商売なんかに手を出すのは消去法の結果なのだ、などと言いながら、サナは決して悲壮な表情など見せてはおらず、むしろ出港が嬉しくてしかたがない様子で、
「だから行くしかないでしょ?」
コアは彼らの出港を止める気はなかった。ロキからずっと前に聞いていたし、何よりも彼らが海にしか生きられないことは分かっていた。
――だが。
「そのうち帰ってきてくるんだろう?」
――リスナに居所がなくて出て行くわけではないんだろう?
――リスナを捨てるわけじゃないんだろう?
風の中、サナがにやりと笑った。
「他にどこに帰る場所があるっていうんだ?」
あちこちで人々が怒鳴り合い、叫び合いながら何十隻もの船の出港準備を続けている。カモメが空を滑る。
サナが支度を進めている船は、ロキの乗る本船である。
これから東方へ、まだほとんど誰も行ったことのない、東方砂漠の遥か東へ旅だって行く船。
リスナの新しい交易の歴史の始まりを感じさせる船団。
その出港を一目見ようと、時折吹く木枯らしをものともせず人々が港に集まり始めていた。
人混みをかき分けるようにして、ロキを伴ったリアが現れる。
「ロキ。」
少し離れたところから呼びかける声。その声の主を振り返り、コアは目を見開く。
「ケツァルか。世話になったな。」
にやりと笑いながら、ロキは声の主ケツァルにその骨太の手をさしのべた。リアは二人の様子に小さく笑って、荷物の積み込み指示を覗きに行く。
――ケツァルさんとロキは東方砂漠の同胞なんだ。
ケツァルもロキも今まで同胞としての顔を見せることはなかった。できなかったのだ。今までは。かたや海賊。かたやリスナ守備隊の副隊長。同胞の顔を見せることなど、できない立場だったのだ。
――だが、二人はそう生きる道を選び誇りを持って生き抜いた。
頭上高く、カモメが鳴き交わす。
「良い旅を。」
「あんたもな。良い人生を。」
穏やかな笑みを浮かべ、ケツァルが隣に控えたコアの背を押す。ロキは彫りの深い目元を小さく光らせて、コアの両手を取った。
日差しは暖かい。だが、風は冷たくて。
ロキは船内の様子を見に行ったリアを呼び返し、握手を求める。両手を差し出しかけたロキは、ふと何かを考え直した様子で、にやりと笑うと右手だけを差し出した。リアの左肩は寒い日にはほとんど動かない。ロキの心遣いに照れくさそうにリアが右手を差し出して応える。
「お前達がいなくなったら、この街もずいぶんと寂しくなるな。」
「いなくなってせいせいする、の間違いだろう?」
「世辞くらい素直に受け取ればいいものを。」
にっと笑うリアに、ロキは肩をすくめ目を見開いてみせる。
冬木立の丘が港を取り囲むようになだらかに広がり、点々と空に枝を伸ばす常緑樹が淡い光を受けて白い博物院を包み込む。風を受けて流れる雲が、潮の香りの中、穏やかな日差しに映えていた。
「アイキの隣はお前のいるべき場所だ、リア副指令殿。ま、困ったら、いつでも呼びな。総司令殿の海賊達は、総司令殿のためならいつだって飛んで帰ってくるさ。」
風が吹いた。白い町並みを照らし出す陽光を背に受けて、カモメが知事館へ続くなだらかな丘を天翔てゆく。
石畳の大通りがにわかににぎやかになり、人垣が左右に割れ、ゆったりとした歩みでリスナ総司令アイキが姿を見せた。
リスナの白い翼が大通りの両側に広がっている。
「あいつのいる場所が、俺達の帰る場所だからな。」
誰に言うともなくロキはつぶやいて、空を見上げる。
空は突き抜けるように高く冴え渡っていた。
<完>