□ 十 □


 七隻の海賊船に乗り組んでいた海賊達を一堂に集めてみると、それは随分と圧巻な光景であった。後ろ手に縛られながらもふてぶてしくふんぞり返る彼らを前に、リスナ守備隊の副指令であるケツァルは、奇妙な感動さえ覚えていた。彼らを日陰に座らせ、部下が声に出して一人一人、名前や年を確認してゆくのだが、その単純な作業があまりの捕虜の多さゆえに遅々として進まないのである。
 一体、こんなにたくさんの海賊を一網打尽にし、平然と連れ帰ってくるあの小娘は何者なのであろうか。
 まだ日は高く、昨日の夕方までは奔放な海賊であった彼らが自由を失ってから一日も経っていないというのに、ふてぶてしいながらも捕虜達は一向に逆らう様子を見せない。
「捕虜に怪我人はいないか。」
 総司令部から港へと延びる坂道を、小走りに駆け下りてくるアイキの姿に動揺したのはケツァルではなく海賊達であった。
「今のところ、ひどい怪我をした奴はいないようです。」
「そうか、ならばよかった。」
 アイキにしても、正直に言えば、ロキだけでなく、荒くれ達と顔を合わせるのもどこか気まずかった。特にサナやティルとはどのように話をすればいいのか分からない。いつもならば、怒り狂い、あるいは意気消沈した捕虜達と言葉を交わして懐柔するのは、嫌いな仕事ではないのだが。
 しかし……。
 そこまで考えて、頭を振った。アイキは考えても仕方がないことは、考えないことにしている。いつも通りでいい。難しく考えるな。
 海賊達は先日捕まえた生意気な大女が、有名なリスナ総司令官であることは知っていたが、実際その姿を間近で見直すと、少なからず動揺したようであった。
 突然の低い口笛。
 反射的に音の源を探せば、あぐらをかいて胸を張ったサナが、顎を上げてアイキの注意を引こうとしている。一瞬、視線が合う。それを待ちかまえていたかのように、サナは普段通りの大声を出した。
「おい、お嬢ちゃん。頭はどうなったんだ?」
「総司令に失礼な口を利くな!」
 ケツァルが怒鳴り返すものの、それは儀礼的な言葉にすぎない。捕虜と捕縛者の立場の差をわきまえさせるための大声。ケツァルの手法は分かっていたし、捕虜が無礼な口を利くのはいつものこと。それにいちいち目くじらを立てていたら、彼らを配下に加えることなどできはしない。アイキはすっと息を吸った。
「サナ、怪我はないか。」
「一応な。」
「頭は、海路、ニールに向かっている。首都で裁判を受けることになる。捕らえられた海賊の頭として当然の処置だ。覚悟はできているだろう。」
「頭は殺されるのか?」
 悲鳴のような声を上げた若い男は、目を潤ませてアイキを睨み付けている。
「さぁな。掃討作戦があることは事前に警告してやった。それに自分から飛び込んできたのだ。自業自得だろう。」
 若い男が目を見開いた。
「だが……一応、助命の嘆願をした。余程馬鹿なことをしない限り、助かると思う。後は頭次第だ。あの男に生きて戻ってこようという気がありさえすれば、間違いなく助かる。」
 捕虜の群の中にティルの姿を見付ける。目があった途端、ティルはついっとそっぽを向いて見せた。だが、ロキが助かるという言葉は、大人しく座り込んでいたふてぶてしい捕虜達の目の中の緊張感を、見る見る溶かしていく。
 これがロキの人望、というものか。サナは彼を天才と言った。これほどまでに人を惹きつける才能があるのなら、彼を慕う者たちを巻き込んでまで、どうしてこう無謀な賭をするのか。捕虜達は自分のことは後回しにしてロキの心配をしている。上に立つものとしての自覚を持つべきだな。
 アイキはなぜ自分が海賊達の身の上を心配しているのか不思議だった。本来なら、海軍に吸収されて、彼らが真っ当な道に立ち返れたことを喜ぶべきところである。普段のアイキならば、少なくとも海賊の一人一人に同情はしても、海賊という存在に対しての同情などしなかった。
 全員を改め終わり、船に戻って休むよう命じると、アイキは海兵隊の船の整備を見に行った。すぐにまた首都の警備に行かなくてはならない。明日から海賊達を使って、海賊船に刺さったままの銛をどうにかしなくてはいけないし、首都警備とリスナ守備との割り振りを考え直す必要もある。王太子の結婚式までの間、やることが山積しているのはアイキにとってもとてもありがたいことだった。余計なことを考える暇がない。
 小さく息をついて見上げれば、夕刻のリスナの海は、空を映して明るく煌めいていた。

 一方、助命嘆願を託されたリアはといえば、順調な風に恵まれて四日後には予定通り首都に到着していた。
 しかし、首都はすでに結婚式が始まったかのような浮かれようで、ロキの裁判はいつ開かれるかも分からない。カーディン宰相に託された手紙を直接渡すこともできず、リアは秘書に預けて返事を待たされる羽目に陥った。秘書は笑いながら言う。
「恩赦が出るんじゃないですかね。だいたい、こんな時期に海賊相手に裁判なんてやっていられる暇があるわけないですよ。」
 首都でのうのうと暮らしている「偉い」人々は、命がけで海賊の目をかいくぐって船を出す漁師や商人達とは、感覚が違うのだ。前線の兵士達とも全く違うのだ。そんな当然のことにリアはふと胸を締め付けられるような息苦しさを感じた。そんな自分の青ささえ腹立たしい。これが現実。分かっているはずだった。
 すぐにでもリスナに帰りたい。
 自分がそう思ったことにリアは軽い驚きを覚える。いくらリスナでの生活が長くても、帰るべき場所はニールであり、リスナは行くべき場所であったのに。宰相からの返事を待ってリアは首都に留まり、遠いリスナを思った。
 ロキを護送してきたクリオラも、首都の反応の悪さに苛立っている。
「総司令の働きをどう思っているんでしょうか。」
 一介の兵卒から出世する女性武官というのは、極めて珍しい。貴族階級出身の特権を生かして士官学校を出、出世街道を歩む女性さえ滅多にないのに、全く何もないところからクリオラは隊長にまで成り上がっていた。リスナ海兵隊では、各船に船長がおり、三隻の船ごとに隊長を置き、三隊ごとに団長を置く。その団長を束ねるのが副指令であり総司令である。アイキは就任早々、船長であったクリオラを隊長に抜擢し、クリオラはそのためにか、総司令に対し非常なまでの忠誠を誓っていた。だからこそロキという厄介な海賊の護送を命じられたのであろう。
「まぁ、そう言うな。今は事態が事態だ。」
「しかし、副指令、あの海賊はこんなものまで持っていて、」
 白い厚布にくるまれたそれは、何であるかがすぐに知れる。クリオラが腹立たしげにその包みを開くと、細かい細工の施された小刀が姿を見せた。アイキが個人的に部下に与える褒美の品である。王太子への結納の品をリスナへと運んだ褒美としてロキに与えたものに違いなかった。もちろん、その事実を知る者は少ない。
「きっとリスナ兵から、しかも何か手柄のあった者から奪い取ったに違いありません。いつどこで手に入れたのか、少し痛めつけてやったのですが、あの男は答えようともしなくて、」
「痛めつけたのか?」
「ほんの少しだけです。傷があるとまずいですから。船の中で何とか白状させようと、」
 リアは薄く微笑んで、クリオラの手から小刀を取り上げた。
「何も白状しなかった、のか。あの男はそういう男なのだな。」
 海賊掃討作戦の警告が書き込まれていた薄水色の布は、既に取り払われている。残っていてはアイキの立場が危うくなろうが、燃やしてしまったのだろうか。今はあの布さえないのであれば構わない。もっとも、裁判の席上で、アイキが海賊を助けようと作戦を事前に教えていたことを証言したとしても、アイキが罪に問われることがあれ、ロキの罪が軽くなろうはずもない。リアにはこの期に及んで、懐にこの小刀を忍ばせていたロキという男に不思議な親しみを感じた。
「これはな、あの男が総司令から賜った品だ。」
「え、」
 一瞬、意味を理解できなかった様子で戸惑った目をして、クリオラは問い返す。そしてすぐに言葉を呑みこんで、緊張した面もちになった。
「大丈夫だ。別にそのことで総司令からお叱りを受けることもない。ロキが自分で言えばいいところを、黙って痛めつけられていたんだからな。お前の疑いももっともだ。」
 しばらく手の中で小刀を弄んだが、リアは小首を傾げて尋ねる。
「罪人には会いに行っても平気かな。少しあの男に用がある。」
「看守に話を付けましょう。たぶん、問題ないはずです。」
 足音がやけに響く、天井の低い牢獄は、地下のじめじめした場所にあった。クリオラが話をするまでもなく、看守は興味など全くなさそうに、黙って牢獄への扉を開いた。ついてこようとするクリオラを目で制し、リアは無表情な目つきのロキと二人きりになる。
「笑いに来たのか。」
 ロキは吐き捨てた。
「そうじゃない。頼みがあって来た。」
 穏やかな言葉は、どこか冷たいほどに冷静な響きを持っている。薄暗く天井の低い牢獄に腕を組んでくつろいでいたロキに、檻を挟んで向き合ったリア。看守に運ばせた椅子に腰を下ろすと、膝に腕をついて、顎を支えるように前屈みになってゆっくりと言葉を選ぶ。
「総司令の命令で、あんたの助命を嘆願してきた。裁判になる前に恩赦か何かでこの湿っぽいところから出られるはずだ。」
 少し意外そうな表情でロキは目を上げた。
「首都の連中は、安全な内海なんて待っていればただで手に入るものだと思っている。だから海賊なんて全く怖くもないようだし、あんたの裁判も本当にやる気なのか、分からないがな。」
 黙ったまま、続きを促すロキの視線に、リアは苦笑した。
「無条件に出られるわけではない。もちろんな。あんたは国王陛下に忠誠を誓わなくてはいけない。国王陛下の軍に配属されて光栄だと言わなくてはいけない。あんたはそんなことを言わされるぐらいなら、処刑された方がましだと言う男だろう。そこで頼みがある。」
 一度言葉を切って、リアはロキの様子をうかがった。頼みの内容は見当がついているだろう。しかしロキは全く身じろぎをせず、無表情な笑みを浮かべたまま、傲岸に腕を組んで座っていた。これでこそ、頼む甲斐がある。リアは言葉を続ける。
「お前も大きな組織を押さえている頭だった男だ。うちの総司令の器は、分かっているだろう。リスナはあの人に惚れている。だがあの人を支えるには、リスナにはまだ力が足りない。あの人の器に比べたら、リスナはまだ小さすぎる。力を貸してくれないか、ロキ。お前ほどの人間なら、小さなプライドにこだわって助かる命を溝に捨てたりはするまい。」
 ロキは深く息を吐いた。それからにやりと笑って見せた。無表情の眼差しはそのまま真っ直ぐにリアに向けて、髭を蓄えた口の端を引きつったように上げる。
「随分と調子のいい話だな。」
「そうだな。全くだ。だが、総司令が命乞いをしろとおっしゃるんだから仕方がない。俺は総司令の望むことなら、何でも叶える努力をするさ。それに、あの日の無茶な取り引きだって、こっちは約束通り、あんたの船を追わずに見逃してやったんだ。今回だって悪いようにはしねぇよ。」 
 ロキは目を閉じた。
「考えておこう。」
 笑ってリアは席を立った。そして、ふと思い出したようにクリオラから受け取った白い厚布の包みを懐から出す。
「これはリスナで返す。今渡すと話がややこしくなるからな。」
 穏和な口調のまま、リスナでの再会を約束するように言い捨てると、足音を響かせながらリアは元来た通路を辿っていった。低い天井に跳ね返って、ロキの舌打ちの音が追いかけてきた。




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