□ 九 □
「大丈夫そうですね。」
見張り台の若い海兵が言った。
「海賊船の影など一つも見えません。もう、ネズミ一匹いないんじゃないですか。」
第二次掃討作戦を始めて五日。
アイキ率いる掃討部隊は小規模の海賊船を二隻捕らえただけで、大した戦果も上げないまま、いたずらに沈みゆく秋の日を見送っていた。西に傾く橙の光を左手に、リスナ海兵隊はゆっくりと副首都への道をたどる。内海に轟くリスナ総司令の名が海賊たちを震え上がらせたに違いないと、船に乗っている誰もが思っていた。王太子の婚礼の日が近づいている。内海警備の強化は少し考えれば想像がつく。わざわざ危険を冒してまでリスナ総司令に戦いを挑むこともあるまい。
「いや、まだいる。」
振り向いて見張り台を見上げながら、アイキは叫ぶように答えた。風が強い。帆は極限まで張りつめて、縛っている綱がギシギシとしなっている。
「あの日取り逃した海賊船、覚えているだろう。奴らはもともと、七隻の大船団だったが、海峡を越えたのは本船だけだ。あの日以来、海峡警備隊が総力を挙げて警戒しているのに、内海から出ていく奴らの船を一隻も確認していない。残りの六隻はまだ内海の中にいる。加えて、あの船足を考えれば、本船が海峡を強行突破して内海に戻っている可能性がある。」
「なるほど。そいつらを見付けるまで、作戦は終了しないんですね。」
アイキは返事をせず、しばらく人差し指で自分の首筋を小刻みに叩き、何かを考えている様子だったが、また大きな声で言った。
「いや、作戦は作戦だ。予定通り、明日の午後にリスナに帰港できるように航行する。」
「でも、まだ大規模な海賊団がいるわけで、」
「奴らはこの掃討作戦を知っている。知っていて内海にいるのなら、どこか余程目立たない場所で、息を潜めて嵐の過ぎるのを待っているか、正面から戦いを挑んでくるか、どちらかだろう。探してもしょうがない。我々は式典の日までにニールの海岸警備につかなくてはならないからな。今回はニールさえ襲撃されなければいいのだ。奴らが姿を見せたところで、王都に手出しなどさせるものか。」
「そうですね。しかし、総司令にわざわざ勝負かけてくる奴なんていますか。」
兵士の真剣な口振りに、アイキは苦笑してそのまま船首に向かった。
ロキには、警告した。
警告したことで、あの日の借りは返している。もしもう一度出会ったならば、容赦する必要はない。アイキにはロキが正面から挑んでくるという確信があった。おそらくは海峡に近い海域で、リスナに帰る海兵隊本体を待ち受けている。警告されたことを挑発だと理解する男。間違いなく彼は警告に憤り、アイキの船団を突破して内海を蹂躙して見せようとするのだろう。
気が付くと風が変わっていた。夕方になったからであろうか。順風だった風が弱い逆風になっている。振り返れば、見張り台の兵士は、ひどく緊張した様子で双眼鏡をのぞいていた。
「正面に七隻、海賊船を発見!」
うわずった報告を遠く聞きながら、西日が進行方向の海に滲んで浮かんでいるのを見た。まだ沈むまでには時間がある。水平線までの距離を考えると、一時間ぐらいはまだ明るい。
「全力前進。特殊配置、各船に準備指示を。」
片手を掲げて叫ぶと、あちこちからそれに応える声が上がる。船が一瞬、大きく揺れる。風を受けた帆が破けそうな音を立てて逞しく風をはらんだ。逆風でも、上手く帆を操れば船は進む。漕ぎ手達も頑張っている。正面の船団は見る見るうちに夕日を映した海に姿を現した。
逆光か。
何度となく自分の中で試行した作戦をもう一度反芻して、周囲を見渡す。十五隻の船団は二列に並んで、横に広がっている。リアを囮に使った挟み撃ち作戦は知れ渡ってしまったので、二匹目の泥鰌に期待する気も起こらず、副指令はリスナの守備に残してきた。海峡警備隊も内海の出入りに対する警戒を強化するのみで、今回の作戦には加わっていない。この十五隻だけが戦力である。相手は七隻。船の数では倍しているが、一つ作戦を誤れば壊滅するかもしれない。ロキが何者であるかは分からないが、尋常な相手でない。水一滴漏らさなかったはずの第一次掃討作戦を切り抜けているのだ。サナは彼を天才と評していた。
「数では勝っているが、油断するな。我々を待ち受けているような物好きだ。何を考えているのか分からない。指示には素早く対応できるようにしてくれ。」
誰に言うともなく叫ぶと、また四方から返事が返ってくる。大丈夫だ。彼らは付いてきてくれる。作戦は万全。きっとあの「天才」海賊は小細工などせずに、力で押してくる。力負けはしない。
見張り台に歩み寄り、兵士から双眼鏡を借りて船首に戻る。中央の船の甲板には、同じように船首に立って双眼鏡をのぞくサナと、隣で腕を組むロキの姿があった。
「やはりな。正面から来るつもりだ。」
サナが何か報告すると双眼鏡を手渡し、受け取ってロキは迷うことなくアイキに焦点を合わせる。双眼鏡でのぞき合うのは気まずく感じて、アイキは一度目を離し、自分の船団を見渡した。砲撃でこちらの船を沈めてから、悠々と突破するつもりか、それとも船団の合間をくぐるか、両脇の隙を通り抜けて突破するつもりか。もう一度、海賊船の様子をうかがうと、ロキが振り向いて周囲に指示を出しているところであった。双眼鏡を取り返したサナが、それと気づいて、アイキに手を振ってくる。
「相変わらずふざけた男だ。何を考えているのだか。」
苦笑しながらもあの事件を思い返すと、複雑な気持ちになる。まさか彼らは捕虜の小娘が、リスナ海兵隊の総司令官として再び姿を現すなどとは考えていなかっただろう。アイキ自身も生きて彼らと向き合うことになろうとは思いも寄らなかった。手を振り返すこともせず、戦闘準備完了を報告に来た部下に笑顔を見せて応えると、正面の船団が動き始めた。備え付けの大砲はそれぞれに海賊達が張り付いて、いつでも発射できる状態になっているようだったが、静かに真っ直ぐに彼らは進んできた。
「十分引き付けて狙ってから打て。奴らが仕掛けてきてからでも間に合う。」
ロキの長身が肉眼で認識できるほどにまで船は近づいていた。海賊船の大砲は、一向に音を立てようとはしない。やはり急に方向を転換して、こちらの船団を左右に迂回して突破する気か。第二列目の船には、そういう動きに対応できるようにと指示している。
「撃て!」
アイキが高く手を挙げると、鯨を撃つために開発された銛が次々に海賊船の側面に突き刺さった。今回の作戦の目玉であるこの特殊な銛は、五日間の間、使われずに作戦を終了しようとしていた。船腹に突き刺さると先端が開いて容易には抜くことができず、抜けば浸水することにもなるために、銛を受けた船は刺さったままにするほかない。銛には長い鎖が二本つながっており、一本は海兵隊の船にしっかりと結びつけられ、もう一本の先には碇が据え付けられている。銛が突き刺さるたびに、海兵達はその銛につながっている碇を海に投げ込んで、瞬く間に海賊船の動きを封じることに成功した。銛の攻撃にたじろいだ海賊達が、激しく揺れる甲板から何度か砲撃を試みたが、弾は海に沈んだだけであった。順風の中を全力で進む船が急に碇で押さえつけられたために、横揺れが尋常ではなく、何とか脱出しようと駆け回る男達も、その荒々しい外見にそぐわず、揺れに合わせて足下をふらつかせる。
中央の船では、相変わらずロキが腕を組んだまま、船首に立ちつくしていた。呆然とする様子もなく、まるで勝ち戦を眺めているように不敵な笑みすら浮かべて、アイキに大きく目を見開いて見せた。
「首領を捉えろ!武器は全て確保しろ!全船リスナに曳航する。首領はロキという大男だ。即刻、首都へ送る。クリオラ隊に『首都への護送を頼む』との伝言を。」
「はいっ。」
西日が水平線に触れるころには全てが終わっていた。奇妙な虚脱感を感じながら、アイキは海兵隊に囲まれるように曳航される七隻の船を見ていた。銛につながった碇を甲板に上げ、捕らえられた船は気怠く逆風の海を渡ってゆく。既に薄暗い海に、影ばかりが浮かぶその姿は、どこか幻のようであり、目が覚めたら消えているようにさえ感じられた。海賊達はそれぞれの船の船長以外はそのまま元の船に乗せられたまま、大人しく曳航の指示に従っている。ロキはその場で抵抗もせずに捕らえられ、アイキ配下の一隊に護送されて、ニールへ向かっていた。他の船長達はリスナ海兵隊の船に移され、捕虜として戒めを受けているが、一様に逆らう素振りを見せない。この敗戦が予定通りの行動だったようにすら感じらる海賊達の静けさが不気味であった。見張りの若い男がつぶやくように言う。
「まだ隠れている本隊がいるってことは、ないですよね。」
「ない。これで全部だ。」
証拠があるわけではなかった。ただ、ロキならば小細工などせずに、負ける勝負でも意地で向かってくるだろうという気がしただけだった。だが、アイキがそう断言すると、兵士は全幅の信頼と安堵をその表情に見せて、勢いよく敬礼した。
明け方頃に海峡警備隊に遠く挨拶を送りながら、外海に出る。
リスナはすぐそこであった。昼前にはリスナに入港した。雑務の処理は部下達に任せ、知事に事態を報告しに行くと、待ちかまえていたかのようにすぐに執務室に通される。立ち上がって出迎えたザールは、豊かな体つきを誇示するかのように鷹揚にアイキに席を勧めた。
「作戦は成功したようだね。ご苦労だった。怪我人は出なかったか。」
「はい、ほとんど出ませんでした。体調を崩したものがありましたが、途中、寄港した町で療養させております。こちらは変わりはありませんでしたか。」
「大丈夫だ。副指令が二人そろって控えていてくれたからね。」
秘書が冷たい茶を出す。秋とはいえ、まだまだ昼間は暑い。黙っていても汗をかくような日差しに、ザールはしきりに顔を拭っていた。
「ずいぶん大きな海賊団を捕獲したようだね。」
知事の執務室は小高い丘の上にあり、港までの町並みを一面見渡せる広い窓があった。そこから見る景色はまるで一幅の絵のようで、海から見るリスナが白い都市であるならば、執務室から見るリスナは海と空に包まれた紺碧の都市である。一望すれば、港に並ぶ船が全て目に入る。海兵隊の船とは明らかに違う船団が囲まれるように入港してきたのを、この細心な知事が見逃すはずもなかった。
「はい。ご記憶でしょうか、ロキという男の海賊団です。」
「ほぅ、あの男か。よくよく縁があるようだな。」
ザールの苦笑を含んだ言葉に、アイキは切り返すこともできず、ただ小さく微笑んだ。
「捕らえられて、頭は何か言っていたか。」
「いえ、まだ話をしてはおりません。」
「気まずいか、さすがの総司令殿でもね。あの事件の日とは立場も何も違いすぎるし、できれば出会いたくなかった相手だろう。ちょっと待っておいで。」
秘書を呼ぶと、正式文書の用紙を用意させ、ザールはしばらく紙に向かって滑らかに手を動かしていた。時折、思いついたようにアイキの顔をちらりと見、そのまますぐに視線を用紙に戻して、続きを書く。そして首を傾げて書き上がったものを読み返すと、きつく封をした。
「これを渡しておこう。ロキの助命を嘆願する手紙をね。カーディン宰相に届ければ、十中八九、彼は助かるだろう。恩赦の後に、リスナの配属に回してもらえるようにも頼んである。もちろん、その男が助かりたいと願えばだけれども。総司令殿にとってあの男が必要なら、この手紙を宰相閣下の元へ届けさせなさい。いらないのなら、この紙切れは好きに処分して良い。」
捕虜となった海賊の頭は、首都で裁判を受け、処刑されるか、許されて海軍の支配下で働くことになるか、二つの全く異なる運命が待ちかまえている。アイキとジンジャーを拉致して、宝物の強奪を試みた事件は、宮廷内部でもみ消されているために、その罪を問われることはないだろうが、七隻もの船を有する海賊団の頭が何の罪もないなどということはありえない。誰かの後ろ盾がない限り、生きて首都を出ることは難しいだろうとはアイキも気づいていた。だからこそ、事前に警告を発したのであり、だからこそ、こうしてザール知事の元へ馳せ参じて作戦終了の報告を急いだのである。ザールの力を借りれば、ロキをみすみす殺さずにすむかもしれない。なぜ、ロキを殺すことをためらうのかは自分でも分からなかった。
その想いを知ってか知らずか、頼む前から助命嘆願を書いてくれたザールの手紙をありがたく受け取って、アイキは知事室を後にした。夕方には特命を受けたリアがニールに向かって出発した。