□ 十六 □



「失礼します。」
 扉が開いて、二人の青年が姿を現した。指定したとおりの時間に几帳面にやってきた二人の姿に、アイキは一瞬呆然と見入ってしまい、それから慌てて笑顔で彼らに席を勧めた。
「グレンの甥っ子の二人、ラピスとルビー、だね。」
「はい。」
 意識してか、意識せずにか、二人は声を揃えて返事をした。
「ルーンが『君たちは少し変わっている』と言っていたよ。しかし本当によく似ている。」
「はい。こちらがラピスで、こちらがルビーです。」
 また声を揃えて答える。ラピスは青い石を、ルビーは赤い石を散りばめた銀の鎖を手首に巻き付け、指には十本の指輪、指輪から細い鎖が手首の鎖に伸びていて、首には同じような石を細い銀の鎖で吊し、髪も銀の髪飾りで留めている。動くたびに鎖がチャラチャラと澄んだ音を響かせていた。
 彼らは背は高いものの華奢な体つきであって、どう見ても二十代の男性には見えない。女性か、そうでなければ女装をした少年役者のようであった。頑強なアイキと並んで立てば、誰もが、アイキを男性、彼らを女性だと思ったであろう。身につけた石の色以外、ほとんど見分けが付かないほどそっくりであった。
 ルーンが自ら推薦しておきながら、彼らを「変わっている」と評していたのはこの容姿のためか。
 二人は、アイキをじっと見つめている。緊張の中に、どこか挑むような視線を交えながら。
 ――彼らの外見は問題ではないな。
「明日から来てくれるかな。」
 何も気にしていない風を装ってアイキは尋ねた。
 ――服装も姿も、私の秘書を務める上では、何ら問題ではない。
 平然としたアイキの言葉に、青年達はかえって不思議そうな目をする。
「いいんですか。私達、こんな、」
「構わない。私はお洒落が苦手だけど、お洒落な人は苦手じゃない。」
 双子は目をぱちくりさせた。
「でも、もっと走りやすい服で来てもらえるとありがたい。何せ私はせっかちで、総司令部と港の間を、一日中駆け回っているものだから。」
 そう言って冗談めかして笑えば、二人は一気に緊張が解けた様子で、表情を輝かせた。
「分かっています。総司令殿!」
 ――もしかしたら……いや、たぶん。彼らは自分を試していたのかもしれない。
 漠然とそんなことを思いながら、アイキは執務室を出て行く二人を見送った。
 翌朝、執務室に現れた二人は、相変わらず女と見まごうような服装ではあったが、それでもしっかりと動きやすいかっこうをしつらえてきていた。
 もちろん、ケツァルは彼らを紹介されるなり、苦虫をかみつぶしたような顔をし、リアは穏やかな口調は崩さずに、しかし今にも笑い出しそうな目で彼らを見、挨拶をしたのだった。
 青年達の仕事ぶりは全く問題なく、むしろ目を見張るほどの手際の良さで、ルーンが推薦したのも頷けた。堅物のケツァルですらも、彼らがただの軽薄な遊び人ではないことをすぐに認めたほどである。
「おかげでにぎやかになったよ。」
 数日後、ルーンにそう告げると、ルーンはアイキに目を合わすないまま、小さく笑って、
「そりゃあ、よございました。」
 と、さも可笑しそうに応えた。

 その年の春、一ヶ月ほどの作戦行動のためにアイキがリスナを離れた。
 東方の戦線を支援するとの話であったが、東方の砂漠地帯での戦いは一進一退を繰り返し、はかばかしい戦果を得ることもなく、ただだらだらと続いている。やめようにも引っ込みがつかない。
 ――東方の砂漠地帯は百五十年前の戦争で奪われたビディア国の故地である。
 栄光の歴史を記憶している文官達の中には、そう言って彼の地を取り返そうと意気軒昂な者もあった。たとえばバイザー元宰相やその息子バジルなどはその筆頭と言える。
 そんな中、アイキが部隊を率いて東方戦線を支援しに出陣したわけである。
 東方支援の作戦自体は、大きなトラブルもなかった。
 だが、出発を目前としたリスナ港では、ちょっとしたごたごたがあった。
「なぜ、私たちを置いて行かれるのですか。」
 出発の日の朝、アイキの乗る船の前で、ラピスとルビーがごねたのである。
「お前達は武官ではないのだから。」
 武官ではない秘書官をリスナに残してゆくのは当たり前のことである、とアイキは思っていた。
「この船は、外洋とはいえ、戦争地域を航行して、前線の支援活動を行うことになる。危険な上、狭い船の中では戦場に慣れていないお前達では、足手まといになりかねない。」
 全く予期していなかった展開に狼狽えながらも、アイキは筋を通して説得した。しかし、
「嫌です。私達は、リスナ総司令殿の秘書です。秘書の仕事は、どんなときであれ、総司令殿のおそばに控えることではありませんか。」
 美しい双子の青年達は、どうしても納得しなかった。
 だからといって、船に乗せるわけにはいかない。なおも不満げな表情を見せる二人に、アイキは適当な書類整理を命じて逃げるように出港した。
 今後も、遠出をする度に、またこのような騒ぎがあるのだろうか。
 港に残ったリアも、旅立っていったアイキも、複雑な思いで、見送りに立つ秘書官を見つめていた。
 そして春も半ばのころ。
 作戦を終え、無事に帰港したアイキを出迎えたのは、相も変わらず美しい二人の秘書官であった。
 だが、彼らの表情は何かが違っていた。それが何であるのか判じかねて、アイキは首をひねる。しかも、一月前ならば彼らを見かけるだけで眉をひそめていたケツァルが、青年達に親しく話しかけている。アイキは改めて首をかしげた。
 翌日、普段通りに執務室に入ると、緊張した面持ちで双子が待ち受けていた。
「早いな。」
「総司令。お話があります。」
 思い詰めた様子でルビーが切り出す。もうそのころにはアイキにも何があったか薄々分かっていた。二人の腕には、幾筋もの傷跡が走り、一月前には触れば折れそうに見えた華奢な肩も、どこかたくましさが感じられた。
「海の上でも、お役に立てるようになりたかったのです。」
「私達はどうしても総司令とご一緒したかったのです。」
「総司令が危険な場所に飛び込んで行く時に、留守番を命じられるのは嫌だったのです。」
「でも戦えない私達が足手まといなのは、分かっています。」
「だから、私達は足手まといにならないようになりたかったんです。」
「総司令の側で戦えるように、強くなりたいと思いました。」
「まだ、全然強くないんですけど。」
「二十五才で始めたなんて、ものにならないかもしれないと言われているんですけど。」
「でも私達は総司令のために強くなりたいと思っています。」
「だから、お願いです。」
「今度海に出るときには、私達を一緒に連れて行ってください。」
 二人は代わる代わるアイキに訴えた。彼らの懸命さがほほえましかった。
 一ヶ月の内に、棒術と弓の基礎を学んだのだという。
 とにかく強くなりたくて、ケツァルに相談したのだ、と彼らは語った。驚いたことにケツァルはウィンズ家ゆかりの武道家を紹介したという。双子は彼の元で一ヶ月、慣れない棒術と弓に打ち込んだ。そして、今日に至るのだ、と。
 アイキは、ケツァルが自分の配下ではなく、ニールから来たウィンズ家の食客を紹介したことに、心からの驚きを覚えた。それは、リスナに彼ら食客達の居場所を作ってやろうという密かな心配りなのだろう。武骨で愚直なケツァルの心遣いにアイキは頭の下がる思いだった。
「私達は総司令を守る壁になります。」
「戦功を立てられなくても、総司令の身に及ぶ危険を代わりに引き受けるられるぐらいの人間になりたいんです。」
 ケツァルが彼らに心を許したのも、このひたむきな熱意を理解したからだろう。アイキは笑いながら、彼らを労った。
「ありがとう。気持ちだけでも十分嬉しい。」
 怒られるかと思っていたのだろうか、アイキの笑顔を見て、双子はほっとしたように瞬きを繰り返し、目に涙を浮かべさえした。
「だが、死に急ぐな。死に急ぐような者は一緒には連れて行かないぞ。」
 双子は真剣な表情をそのままに大きく頷いた。それ以降、アイキの乗る本船には双子の姿があった。
 もちろん、陸での秘書としての仕事も続けている。ルビーが秘書官として勤める日にはラピスが、ラピスが秘書官をこなすときにはルビーが、かの老武道家の元で熱心に武術の腕を磨く。その姿に武官達はさらなる発憤を促されないわけにはいかなかった。

 翌年のこと。
 カリンの即位を目前に控えた晩冬、宰相が交代した。東部戦線での作戦失敗を糾弾されたキューがその座を追われ、跡を継いだのが先代のリスナ知事ザールである。
 東部の砂漠地帯での戦争は泥沼状態にあり、バジルらの一派が「その責任は宰相の無能にある」として徹底的に批判したのである。しかし、キューに代わってザールが宰相になったとしても、バジル一派にとってはさほど状況が好転したわけではない。それでもカリンが即位するまではあまり大きな政局を作ることも慎まれたためか、騒動はそこで一応は収まった。
 さらに翌年。
 任期終了を目前に控えたカーベル知事が、夕方遅くなってからアイキを呼び出した。
 ――折り入って、総司令殿に話がある。
 思いもかけず丁寧な招きの言葉に、アイキはどこか胸騒ぎを感じながら、恭しい敬礼を捧げて知事の前に立つ。知事と総司令はいずれも国王直属の部下であるが、ビディアの伝統からすれば文官は武官よりも重んじられる。特に中央で選抜された文官は、国王が直々に試験を課して選んだ官僚であるから、貴族出身のアイキにとってでさえ、カーベルら中央官僚は当然敬うべき存在であった。
「私の次の、新しい知事が決定したよ。アイキ、聞いているか。」
「いえ、聞いておりません。」
 嫌な予感がした。中央の政治闘争は聞き及んでいる。自分は決してその手の争いに長けていない。そして、自分はその渦中に巻き込まれかねない位置にいる。一瞬、眉を寄せたアイキに、カーベルが溜息をつく。
「次期リスナ知事は、バジルだそうだよ。バイザー元宰相の秘蔵っ子。あの辣腕が来るんだ。」
 しばらくアイキは呆然とした。何を言われたか理解するのに時間がかかった。
「バジル殿ですか。」
「そう。バジル殿だ。」
 リスナ知事という職は、宰相への道を辿る者が誰しも通る重要な地位である。だから、時の宰相は自分の後継者をリスナに送り込もうとするし、その敵対者も自分たちの一派から知事を生み出そうと躍起になる。
 だが、その一方で、リスナに送り送り込まれた者は、余程の人脈や情報力、政治能力を持たない限り、中央の動向と切り離されてしまって、中央での出世街道から取り残されることになりかねない。知事職が諸刃の刃であるということは、宰相の器があるかどうかを試す恰好の試金石となることを意味する。
 バジルを宮廷から一時的にでも追い出すことができれば、もう一度、陣営を立て直し、リーナ妃の信頼を取り戻すことができるかもしれない。しかもリスナには信頼すべき総司令アイキがいる。バジルが副首都の支持を取り付けて、勢力を拡大するのはアイキがいる限り難しかろう。ザール宰相らはそう計算しているに違いなかった。
 しかし、バジルにとっても、リスナ知事就任は好都合である。リーナ妃としても、彼女が心中密かに恐れている「恋敵」リスナ総司令を、味方であるバジルが近くから監視してくれることになるわけだ。もし万が一、アイキに不審な動きがあれば、すぐに見抜いて手を打てるというもの。
 双方の陣営の思惑が複雑に絡まったまま、この特異な人事が決定したに違いない。そしてカーベルが自分をわざわざ呼び出した理由も、だいたい想像がつく。
「要するに、新しい知事殿がキュー殿やザール宰相閣下のご期待に背かないように、心を配ればよろしいのですね。」
 言葉を選んで穏便な表現をしたアイキに、カーベルは深く頷いた。
「その慎重さがあなたの美徳だね。アイキ。ザール宰相もそれを買っておられる。」
 今まで、リスナ知事は曲がりなりにもアイキの味方であった。彼らに守られて、今日までやってきたと言っても過言ではない。だが、次の知事は違う。
 知事室を後にして、アイキは空を見上げた。
 ――やれるだけ、やるしかない。
 宮廷での権力争いなら避けて通りたかった。だが、リスナを守るための戦いなら、やってやろうという気がしてくる。
 ――不思議なものだな。
 リスナの空は、どこまでも高く澄み切っていた。




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