□ 十八 □


「アイキ、一つ相談があるんだけど。」
 わざわざ知事が総司令部に足を運ぶなど、珍しいことであった。ザールもカーベルもそのようなことはしなかった。しかしバジルは総司令部だけでなく、どこへでも自ら出かけ、町中を歩き回り、人々と気さくに話をして人気を博した。
 堂々たる体躯。自信に満ちた美丈夫ぶり。
 人々は間近でバジルを見て、彼が優秀な知事と確信した。それを確信させるだけの貫禄をバジルは備えている。バイザー元宰相の息子だから有力な政治家たりえたのではない。リスナ知事バジルはすでに有能で人望の厚い高級文官であった。
「気に入りませんね。」
 事あるごとにケツァルは眉をひそめる。
「あからさまな人気取りをして。」
 吐き捨てるようなケツァルの言葉に、アイキは苦笑する。
「私も同じことをしていたからね。人のことは言えない。」
 ケツァルは首を横に振った。
「違います。総司令のなさったのと、あの男の人気取りとは。」
 どう考えてもそれは身びいきなのではないだろうかと、アイキは思う。ケツァルの気持ちが嬉しい。だが同時に、あからさまに好悪を表情に出してしまうケツァルの不器用さに、アイキはときおり不安を感じる。
「ねぇ?アイキ?」
 アイキとルビーしかいなかった執務室に、唐突に現れたバジル。彼の姿にそんなことを思い出していると、顔を覗き込むようにして、バジルはもう一度同じ言葉を繰り返した。
「聞いてる?相談があるんだけど。」
「なんですか。知事殿直々のご相談とは。」
 聞いていなかったわけではない。バジルはときとして、恐るべき鋭さで人の内面に切り込んでくる。それが人気の秘訣でもあり、ケツァルの不快感の源でもあるのかもしれない。
 まっすぐにバジルを見返して、アイキは穏やかに応じた。
「うん、夏にまた、閲兵式をやるでしょ。そのとき私が乗る船ね。あれ、去年の閲兵式の時に感じたんだけど、どうも古くさいんだよね。どうかなぁ。これからも使うわけだし、新しいのに作り替えたら。もっと大きくて、立派なのに作り替えたらさ、リスナの威光も、ビディア国の威光もぐっと増すわけじゃない。」
「今から新しい船を新調する、と。」
「うん。間に合うでしょ。ここの船大工は優秀なんだから。」
 砕けた口調ではあるが、有無を言わせぬ調子でバジルは言葉を継いだ。
「新しい船ができたら、古いのはリスナ総司令にあげるよ。古いけど、まぁ、仮にも知事が使っていた船だし、格好は付くでしょ。」
 下らないことで諍いを起こす気はなかった。
「分かりました。船大工達に検討させましょう。」
 満足そうに頷いて、バジルは足取りも軽く総司令の執務室を後にした。ルビーがその背に小さく舌を出したのにアイキは気付いた。
「ルビー。」
 軽く咎めるように呼べば、何でもない表情で振り返るルビー。
「はい。船大工達への連絡ですね。畏まりました。」
 ちょっといたずららしく笑って、ルビーは窓から港へ続く道を見下ろした。

 船大工達はバジルの要望をアイキから伝え聞いて、顔を見合わせた。そして口々に言う。
「総司令、そいつぁ、陛下の御坐船と同じ大きさになりますよ。」
「陛下だって、閲兵式じゃそんなご大層な船には、よくよく乗りませんって。」
「知事の船は知事の船の大きさってのがあるんですから。」
 誇り高い職人達は、いかに知事の命令であろうとも決してその船を造る気はないようだった。彼らは頑なに首を縦に振らない。その言葉にアイキは一抹の安堵を覚え、バジルに規模の縮小を伝えた。激怒するかと思いきや、予想に反してバジルはそれ以上食い下がってくることもなく、船大工達に全て任せると言うだけであった。船を新調するだけなら船大工達も異存はない。
 執務室で閲兵式の打ち合わせをしながら、ふと雑談めいてアイキがその話題を出せば、リアは軽く眉を上げた。
「大したお坊ちゃんですね。引き際はきちんと心得ておいでだ。」
 そして、どこまで本気か分からないような口調でにやりと笑う。
「ここは一つ間違えると、陛下に不敬を働くような船を造らせたと言って、総司令を糾弾するつもりだったのかもしれませんねぇ。」
 一方、居合わせた海峡警備隊隊長フランクは、鋭い目元をさらに鋭くして、大まじめに腹を立てた。
「陛下よりも大きい船を造ろうだなどと、しかもたかが儀式用の船をそう大層なものに仕立てようなどと、不謹慎にも程がある。」
 日頃はほとんど表情一つ変えない冷静そうな面差しを、真っ赤に染めて憤慨する。リアは面白そうにフランクの様子を眺めていた。
「総司令殿、それでその新しい船は閲兵式までに完成するのですか。」
 不機嫌を懸命に隠しつつ問いかけるフランク。
「それはリスナ船大工の意地にかけてでも完成させるはずだ。」
「じゃあ、その知事は、新しい船で閲兵式に臨むわけですね。」
「海兵隊の閲兵の時にはね。」
 しばらくは苛立ちを隠しきれずに顔をしかめていたが、ふと何かを思いついたように、フランクは薄く口を開く。その表情は、悪戯を思いついた子供のようでもあり、義憤やるかたなしと言った血気にはやる青年のようでもあり、フランクの日頃の冷静さの下にある幼稚さが垣間見えていた。彼は二人に断って、煙草に火を付けた。
「総司令殿、海峡警備隊もリスナ総司令配下として、閲兵式に参加させていただいてもよろしいでしょうか。」
 海峡警備隊の隊長は、リスナの閲兵式に来賓として招かれる。だが警備隊自体は海峡を守る職務があるので、みだりにリスナに来るわけにもいかず、また警備隊はリスナ海兵隊の下部組織でもないために、通常は閲兵式で閲兵を受けることはない。その場に海峡警備隊が参加したならば、確かにアイキの影響力の強さを物語ることになろう。だが、話を上手く操作すれば、バジルの人徳を讃えるエピソードと読み替えることは極めて容易である。
「かまわないが。海峡の守りはどうするのだ。」
「それは一隊を残してくれば大丈夫でしょう。例の海賊団も外洋で見かけたとはいっても、海峡付近まで来たことはありませんし、事前に警備隊の不在が知れ渡ることがなければ、それほどの危険はないだろうと思います。」
「で、参加してどうする。」
 そのときのフランクは、まるで、むきになったいたずらっ子のようであった。世慣れたケツァルの不器用さに比べて、フランクはどこか幼い。苛立ちを押しつけるように一本目の煙草をもみ消すと、すぐさま二本目に火を付ける。
「総司令殿にだけ敬礼を捧げます。あの知事に人望の差を見せつけてやるんです。船が大きかろうが、立派であろうが、新しかろうが、そんなものは何にもならないと。」
 言葉を遮るように、リアが声を立てて笑った。憤然と見返すフランク。
「いや、すまないすまない。でもな、あのお人はあのお人で随分と人気なんだよ、この町ではね。それにそのやり方はちょっと大人げないんじゃないか。」
「しかし、あの知事がやっていることだって大人げないじゃないですか。」
「フランク隊長、お気持ちはありがたいが、私はあの方と争う気はないんだ。」
 柔らかい物腰でアイキが話に割って入る。リアが笑う以上、アイキは立場上、笑うわけにはいかない。
「バジル知事と私は立場も主義も違うけれども、あの方も陛下がお選びになったリスナ知事殿だ。彼に無礼を働くと言うことは、リスナ知事を直々にお選びになった陛下にも無礼を働くことになりかねない。」
「それとこれとは話が違います。総司令殿、あの男は、自分を選んでくださった他ならぬ陛下その方を侮辱するようなことをしたんですよ。陛下が選んだとか、選んでいないとかいう話じゃない、陛下に無礼をした奴に敬礼なんかできますか。」
「心では敬って礼することができなくても、体ではできるさ。逆から言えば、体で敬礼させるのは簡単だけど、強制的に心から敬して礼させるのは無理だからね。」
 リアが言う。
「だからフランク、心は自分の忠誠心に恥じないように振る舞えばいい。だけど体は少し気にくわないことがあっても、総司令に迷惑がかからないように気を付けるべきなんじゃないかな。その場でそんな人望の差を見せつけてやったところで、変わるような人じゃないだろうからね。そんな人なら、とうの昔に変わっているよ。」
 フランクは黙ってしまった。煙が手元からゆらゆらと立ち上る。
 結局、海峡警備隊は閲兵式には参加しなかった。真夏の閲兵式の空は、突き抜けるように高く広がっていて、世界とはこんなに広かったのかと、アイキは感嘆した。
 リスナ知事の新しい船は、優雅に波間に浮かび、その上で優雅に手を振る美丈夫ともども、港に詰めかけた見物人の注目の的となった。

 アイキは特にバジルと衝突することなく、仕事をこなす。以前、海賊から帰順した部隊を住まわせていたリスナ東部の家並みを、自分の食客達の住処として召し上げようとしたときにも、そのための費用を総司令部が肩代わりしてくれと言ってきたときにも、アイキは表だっては逆らわなかった。しかし、ケツァルは事あるごとにバジルのやり口を批判する。正面からこの二人がぶつかることはなかった。ケツァルとて、さすがに面と向かってバジルに文句を言うことはなかったし、バジルはこの不器用な守備隊長が、その素朴さゆえに人々に深く信頼されていることをよく心得ていた。
 ケツァルがリスナ守備隊の任を解かれたのは、バジルが知事に就任して三年目の秋のことである。
「もう六十が目の前なのですから、そろそろ隠居しようと思っておりました。」
 彼が前々から後任と決めていたコアは、ケツァルの指導の甲斐あって、既に守備隊の副司令官としての仕事をほとんど身につけていた。だから後任の問題はない。首都から、副指令は誰を選べばいいかと打診の使者が来たときには、アイキ総司令とケツァル副指令がそろってコアを推薦し、なんの問題もなくコアの後継が決まった。
「しかし、今更ニール守備隊に配属されることになろうとは。」
 苦笑しながら、ケツァルは茶を飲んだ。退任の挨拶に来たケツァルに、アイキはゆっくりしてゆくようにと席を勧め、ルビーに茶をいれさせた。いつもあわただしい執務室には珍しい光景である。
 ケツァルの転勤は、不自然なものであった。士官学校を出ているものならともかく、一般の兵士から成り上がった者ならば、自分の配属された部隊の中で出世していくのが普通である。リスナで勤め上げたケツァルを急に首都に呼び寄せようというのは、異例の抜擢であり、光栄に思うべきことなのかもしれないが、若い兵士ならともかく、隠居を考え始めているケツァルにとってはいい迷惑としか言いようがない。だが、ここで任官を断れば、陛下のお考えに不平を抱く者だと叩かれかねない。ましてケツァルは、いわくつきのリスナ総司令の片腕として、長い間リスナ副指令だった男である。出かけるしかなかった。
 しかもこの人事にはリーナ妃の思惑が絡んでいるのだ、と、バジルは何か含むところのある笑顔で告げた。
「ケツァルの忠誠の真心に感激なさってね。リーナ様は是非是非手元に置きたいとお考えになったみたいだよ。」
 リスナに置いておけば、バジルにとって、目の上のこぶであるだけではなく、アイキに忠実な武官をその側から除くことがリーナにとっても益になるのだから、そのような政治的思惑が働いているのも当然であっただろう。不器用で、小細工を好まない実直さが売りのケツァルを、陰謀の渦が留まることを知らないような宮廷の中に送り込むのはあまりにも残酷な気がした。だが、ケツァルは年の功、大きな組織の中で揉まれ続けた世慣れた人間でもある。
 ――きっと上手く立ち回ってくれるはず。
 そう信じるしかなかった。
「お願いがあります。私はニールの守備隊に配属になりますが、妻子はリスナに残しておきたいと思います。特に妻はリスナで生まれてリスナで年を取ったものですから、今更新しい場所で新しい生活をさせるなど、可哀想でして。」
 理由はそれだけではあるまい。けれど、アイキは口を挟まなかった。
「もし、私の身に何かがあったときには、他に頼りのない者達ですので、どうか総司令、彼らをよろしくお願いします。」
「安心してください。ケツァル。ご家族に不自由させたりはしませんから。」
 ルビーが、おや、と目を上げた。アイキがケツァルに丁寧な言葉遣いをするなど、初めて耳にした。
 ――そうか、ケツァル様はもう総司令の部下ではないのだ。
 何も気づかなかった振りをして、ルビーは整理途中の書類の束に目をもう一度、落とした。
「私の祖父は、東方の砂漠の騎馬民族出身で、」
 帰る間際になって、ケツァルは言いにくそうにうち明けた。
「私は家族を除いて、一族の者達に会ったことがありません。ですが、我が一族はおそらく東方戦線でこの国と敵対しているのです。砂漠を馬で駆け抜けながら、日々、ビディアの兵士を脅かしているのです。それを知っているのなら、ますます知事や王妃様には目障りでしょうな。私は。」
 再び苦笑をすると、肩をすくめて退出する。
 アイキは何と声を掛けて良いのか、一瞬、分かりかね言葉に詰まる。しかし、
「ケツァル。」
 そのまま黙って見送ることもできず、名前を呼んだ。ゆっくりと振り返るケツァル。
「ニールでの勤めを終えたら、またリスナに帰ってきてくれますか。」
 ケツァルは穏やかに微笑んだ。
「貴女が迎えてくださるなら。」
 三年後の春に、ケツァルは少しだけ痩せ、だが幸せそうな笑みを浮かべてリスナに帰ってきた。そして住み慣れたリスナの町で、落ち着いた老後を過ごそうとしていた。




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