□ 五 □



 港は異様な緊張に包まれていた。正面から入港した海賊船が、都の高官を人質に、水と食料と衣料、そして大量の酒を要求していたのである。希代の珍事に人々は遠巻きにその様子を眺め、リスナ守備隊は港を封鎖しながらも、ジンジャー特使の身を気遣って、身動きを取れずにいた。海賊船入港の報に駆けつけた守備隊の指揮官らしき男は、双眼鏡で海賊船を子細に観察していたが、眉根を寄せて首を振り兵士に双眼鏡を手渡した。守備隊の兵士が代わって海賊達の動向を監視し始める。
 そして、船の上では。
「これ位したって、罰は当たらないでしょ、頭。」
 ジンジャーののど元に刀を押しあてたサナが、港の兵士達に挑発的な視線を向けながらも、上機嫌に笑った。
「手ぶらで帰ってはダール辺りに何を言われるか分からないからな。」
「そうっすよ。ダールの兄貴は、今回の不発の仕事でむしゃくしゃしてる若いのを宥めてんだ。今頃爆発寸前なんじゃないっすかねぇ。」
「……酒があればあいつは文句も言うまい。」
 苦笑いを浮かべながらも、どこか楽しげなロキ。サナがくるりと刀を指先で回した。
「ところでこの親父、どこで降ろすんですか。」
 話題が自分に及ぶと、衰弱しきったように見えるジンジャーも不安げに耳を澄ます。
「追っ手がないことが分かれば、その場で降ろしてやるさ。さすがにここじゃ降ろす気にならんが、どこか小さい漁村のそばにでも放り出してやれ。」
「そうっすね。あいつらがケチらずに飯をたくさんよこせば、この親父にも食わせてやってもいいわけだし。水もね。」
 港の奥には樽が並び始めた。水か酒か、海賊達の要求している品を揃え始めたものらしい。ジンジャーの目に安堵の色が浮かぶ。指揮官らしき男は、自分の仕事をわきまえているのだろう、彼の指示に従って動く兵士達は無駄もなくきびきびとしている。木箱が運ばれてきた。手際は悪くない。ロキが上機嫌に鼻を鳴らすのが分かって、サナも鼻を鳴らした。
 そのとき、木箱を積み上げる守備兵を押しのけるようにして、海兵らしきいでたちの男が一人、街の中心地から港の方へ通じる大通りを駆けおりてきた。守備隊の指揮官となにやら手短に言葉を交わすと、真っ直ぐに船に近づいてくる。新たな指示が出たようで、警戒のために船を取り巻いて臨戦態勢だった守備兵達が、一斉に箱や樽を抱えて港の奥から海賊船の前に移し始める。
 その間を縫って海賊船に近づいてきた海兵は、ジンジャー、サナ、ロキの三者の顔を順番にじっくりと眺めた。後ろから部下らしき海兵が数名、駆けつける。彼らを数歩下がらせると、男はロキに視線を向けた。
「船長はあんたか。ちょっとすまないが、話がある。ここまで降りてきてもらえないか。」
 ロキは目を見開いて見せた。
「馬鹿か。」
 馬鹿と言われて、その男は、穏やかな笑顔を見せる。
「馬鹿でも構わないが、とにかく話がある。降りられないなら、俺をそっちに乗せてくれ。」
 刀を構えたまま、サナは船長の顔を見やった。船長は案の定、不愛想に嬉しそうな目を光らせていた。
「板を降ろしてあの馬鹿を乗せてやれ。」
 男はかなりの地位にある者らしい。無造作に付けられた勲章が海風に揺れていた。付き従おうとする他の海兵を制し、彼は降ろされた板を足先で二度ほど踏んで、安定を確認してから小走りに船に上がってくる。
「無理言ってすまない。俺はここの海兵隊副司令官のリアという。あんたが海賊の頭、ロキって人かな。」
 頭の名前が知られているということは、あのお嬢ちゃんは無事に保護されたということか。
 小さく安堵するサナの横で、ロキは黙って続きを促す。苛立つ様子もなくリアは言葉を継いだ。
「リスナ総司令からの指示で、あんた達の要求通り、水、食料、衣類は渡す。あと酒もな。例の国宝を無事に届けてもらった恩もある。出港するときもそのまま見逃す。だから悪いが……ジンジャー特使を解放してもらえねぇかな。」
 そこまで言って、リアは返事を待った。ロキが、沈黙を断ち切ってゆっくりと口を開く。
「調子のいい話だな。」
「全くだ。俺もそう思う。だが、総司令がおっしゃってるんだから仕方がない。知っているだろ、今回のリスナ総司令がどれほどの人か。あんたたちの情報網なら、相当詳しく知っているはずだ。この前の海賊掃討作戦がどういう結末を迎えたか。その総司令が今回海賊船を見逃すと言っている。信じるかどうかは、船長の勝手だけどな。」
 ロキは黙って何かを考えている様子だった。しばらくロキの様子を眺めていたリアは、懐から布の包みを取り出す。
「それからもう一つ。これ……総司令から。特別に手柄があった者に、個人的に総司令が下さるご褒美。ロキに与えるように、だそうだ。」
 無造作に差し出され、ロキは警戒する様子もなくそれを手にした。青い紐をほどき、薄水色の布をずらすと、柄に象嵌細工の施された華麗なナイフが姿を現す。
「馬鹿にしているのか。」
「さぁな。俺も総司令が何をお考えなのかはよく分からない。総司令が言うには、そっちがそっちの好きなようにするのなら、自分も自分の流儀でやらせてもらうってことらしい。だいぶ、うちの総司令がお世話になったようだからな。もらってくれ。」
「え、」
 思わず声を発したのはサナであった。取り囲んで成り行きを見守っていた海賊達も小さく驚きの声を上げる。ロキは無表情のままのいつもの笑みを浮かべて、ナイフを懐に押し込んだ。
「そういうことなら、もらっておこう。話も分かった。サナ、その男を解放してやれ。荷物の積み込みは俺達でやる。お前達は遠くから見ていればいい。積み込みが終わったらすぐに出てゆこう。」
「分かった。協力に感謝する。」
 リアはぱっと明るい表情を浮かべ、ぐったりと立つ力さえ失ったジンジャー特使を抱き取った。リアがジンジャーを連れて下船すると同時に、海賊達が一斉に動き始める。船の前に積み上げられた物資は瞬く間に船倉に収容され、最後の男が甲板に駆け上がるやいなや、碇を上げた船は港を後にした。守備兵達は、遠巻きに、呆然とその素早い仕事を見守るしかなかった。
「馬鹿にしている。」
 懐から取り出したナイフを弄びながら、ロキがつぶやくのを聞いて、サナは声を上げて笑う。
「全くですね。しかし驚いたじゃないですか。あのお嬢ちゃんが噂の総司令で。しかも頭へのご褒美が、象嵌のナイフ。ずいぶんな品じゃないっすか。」
 返事の代わりに与えられた鋭い視線に、サナはロキの言わんとしていたことが別であったのかと悟る。ナイフを懐に戻し、ロキは包みの布を見ている。手元を覗き込めば、丁寧に縫い取りのある上品な薄水色の布の端に、細かい字が並んでいた。多少にじんだその几帳面な文字は、急いで書いたものらしく見えた。
「へぇ。『三ヶ月後、内海で掃討作戦。近づくな。』ですか。こりゃあ、あのお嬢ちゃんが書いたんですかね。ご褒美に見せかけて警告してやろうっていう腹か。」
 ロキは答えずに、甲板に置かれた空の木箱に座って腕を組んだ。その顔色をうかがうように、サナは船縁にもたれかかる。
「たぶん、あのお嬢ちゃんとしては礼のつもりなんでしょうな。頭は気に食わんかもしれないけど、まぁ、お嬢ちゃんには……総司令には総司令の流儀ってものがあるみたいっすからねぇ。」
「馬鹿にしていやがる。」
 もう一度、ロキはつぶやいた。サナはため息を付いたが、ロキの口調には全く怒りや苛立ちが含まれていないことは分かりきっていたから、そのまま黙って空を見上げた。気持ちの良い風が吹いていた。

「大した海賊ですね。」
 湯気の立つ紅茶を運んできたムーンが、おっとりと言った。総司令の執務室は既に薄暗く、灯りを点けるために姉のルーンも姿を現す。
「アイキ様がご無事で何よりでした。七隻もの海賊団に襲われて、被害は最低限、国宝も守りきったのですから、よかったじゃないですか。国王陛下だって、それでお許し下さいますよ。」
 楽観的なムーンの言葉に、ルーンは少し異論がある様子だったが、何も言わずに部屋の灯りを次々に灯していった。ムーンと、その姉のルーン、妹のトゥーンはアイキの身の回りの世話をする三姉妹である。
「だけど、やはり死傷者は出た。ジンジャー特使も体調を崩された。しかもお預かりした箱を危険にさらした。それで罪は十分。下手をすれば総司令の任を解かれるだろうし、あるいは裁判になって、首都に呼び出されるかもしれない。」
 博物院で小箱が無事に院長に渡ったことを確認し、総司令部に駆け戻ったアイキは、取り急ぎリスナ知事のザールに事情を説明する使者を送った。海兵隊副指令のリアからジンジャー特使解放の報告を受けると同時に、首都へも事の顛末を知らせる使者に進退伺いを持たせて送り出した。文官が武官よりも高い地位にあるビディア国でも、副首都リスナの総司令官は国王直属であって、知事の支配下にはない。リスナ総司令は、少なくとも表面上は、リスナ守備隊と海兵隊を二つながら指揮する軍部の高官である。現実には、歴代のリスナ総司令官は、その多くが名誉職として赴任してきた王族や高級貴族の子弟であったのだが。
「だって、アイキ様は、今回の作戦の司令官じゃないじゃないですか。責任を取るとしたらジンジャー特使の方ですよ。」
 納得がいかない様子のムーン。
「海賊を掃討しきれなかった責任は私にある。私が海賊を全て片づけておけば、こんな事件は起こらなかった。陛下がそうお考えになれば、私は総司令官の肩書きをお返しするほかないよ。ジンジャー特使の解放後に、捕獲できる海賊をみすみす取り逃したことだって、罪に問われれば言われればそれまでだ。」
 力なくアイキは天井を見上げた。本来ならば事後処理で駆け回らなければならないところを、謹慎の名の下に部屋に閉じこもっていられることがありがたい。このまま総司令官の役目から追放されてしまった方が楽なのではないかと思うほど、疲れ果てていた。
 首都にいたころから身の回りの世話をしてくれている、ルーン、ムーン、トゥーンの三姉妹の存在は、いつも日常を支えるだけではなく、心をも支えてくれる。執務室に戻ったとき、アイキが生きていることを実感し、心からそれを嬉しく思ったのは、三姉妹が走り出て出迎えてくれたからである。
「でも王太子殿下がそのようなこと、」
 ムーンはあくまでもアイキに責任の一端があることを認めようとはしなかった。小さく微笑んだままアイキは答えない。それに気づいてムーンは不安そうに黙った。
「あの王太子殿下が何かしてくれたりするものですか。」
 蝋燭を片手に、壁に寄りかかって二人の会話を聞いていたルーンは、強い口調でそう言い捨てると、そのまま部屋を出てゆく。一番年の近いムーンは、いつでも遠慮なくアイキに言葉をかけるが、年長のルーンは遠慮があるように見えながら、一番手厳しい。狼狽えたように姉の出て行ったドアを眺めるムーン。アイキはゆっくりと飲みかけの紅茶碗を机に戻した。総司令用執務室とは名ばかりの、愛想のない書斎のような部屋に、固い音が軽く響く。
「少し休みたい。ザール知事や副指令から何か連絡があったら、起こしてくれ。」
「はい、では失礼します。」
 不安げな表情を残したまま、「お休みになるなら家に戻られては」という言葉さえも呑みこんで、ムーンは静かに部屋を後にした。就任早々、執務室に持ち込んだ簡易ベッドに身を横たえる。泥のような眠りに引き込まれる予感が重くのしかかっているのに、醒めたままの理性が激しく蠢いているせいで、なかなか意識が霞まない。
 ロキの手。
 ロキの声。
 ロキの目。
 言葉は意味を持たずにいつまでも疲れ切った体に脈絡のない思考を要求し、切れ切れの記憶が揮発しそうな意識を揺さぶり起こそうとする。何度も浮き沈みを繰り返しながら、アイキはゆっくりと深い眠りの底にとけ込んでいった。




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